by 渡辺天和斎 Information
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2010年 05月 28日
現在、長編小説【半月の道標】第3章執筆中。ゲーム進行でいえば赤坂での鬼王戦まで書けました。
今長編を手がけているからよけいにそう思うのかもしれませんが、私はいわゆるSS? マンガだと4P以内に収まりそうな、一場面を切り取った掌編小説というものを書くのが苦手です。 それを考えるきっかけになったのが、Twitterでの、この一連の発言。 天和斎(@tenhosai)/2010年5月28日-Twilog 自分なりに原因などを推測してみると、大きく分けて次の3つになるかと。 1 「原作未プレイの人にもわかるように」というポリシーで書くと、否応なしにある程度以上の長さが必要になる 2 「書きたいシーン」だけでは小説にならないという思いこみがある 3 シーンそのものを思いつき、形にする瞬発力が足りない 以下、項目別にみていきます。 1 「原作未プレイの人にもわかるように」というポリシーで書くと、否応なしにある程度以上の長さが必要になる これは、言葉通りの意味ですね。あくまでも、私の個人的なこだわりなのですが。 たとえばサクラ大戦のSSなら、華撃団(歌劇団)がどんな組織で、隊員はどんな人物であるか、原作未プレイの人にもわかるように書いています。 そうした説明・描写そのものに字数を割かねばならないのはもちろんのこと、キャラを人柄も含めて描ききるには、ある程度時間の幅をとってキャラを行動させなければ、そうしたものは伝わらないと考えています。 読者は原作の設定を知っているのだから、それを前提に、余計な説明はしないで書くという考え方もあります。たぶん、割合でいえばこちらの方が多数派でしょう。 そして私自身も、そういう書き方をやってやれないことはないと思います。 でも、一度あるやり方にポリシーを抱いてしまうと、なかなかそれを変えられない……一種の頑固さなのかしら。それは大いにあるような気がします。 2 「書きたいシーン」だけでは小説にならないという思いこみがある 1とも関連するのですが、私は小説を書くときに「必要な情報はすべて作品内で提示されていなければならない」と考えています。 だから、書きたいシーンを思いついても、なぜそうなったのか、必然性を説明できなければ書けないし、考えたら考えたでそのことをきっちり書ききらないと気がすまないんですね。 これもまた、「秘すれば花」という価値観の対極にある、ある意味野暮なやり方ではあります。 具体的な例を挙げると18禁作品。 正味、シチュエーションとキャラのざっくりとした説明と行為のシーンさえ書けてれば、「実用」というニーズは満たせるし、それ以外の記述が邪魔になりさえするのですが。 それでも私は、そのシーンに至った理由とか、そこに向かうキャラの心情とかを、書かずにはいられないんですよ。自分でも読み飛ばすだろうと思いながら。 3 シーンそのものを思いつき、形にする瞬発力が足りない これで思い出すのは、数年前にSSサイトのオーナー二人を含めた4人で、お台場の「船の科学館」を観光したときのこと。 二人ともが、「こういうのを見てると、大神と加山の会話を想像するよね」と言ったことに、密かにショックを受けたのでした。 ……私、そんなん考えたことないよ? それは、小説書きとしての基礎体力の違いを思い知らされた一件として、今でも記憶に残っています。 もちろん、ネタになりそうな場所に行って、何も考えずにボーッと見ているわけではありません。 私の場合、そういう場所では、シーンそのものよりも発想の起点となる疑問やifが浮かんできます。すると、それを考える手がかりを探す、取材者の目になるんですね。 たとえば、帝劇のモデルになった建物に行って、建物自体から受けたインパクトを書きたいと思った場合。 書く上で必要になりそうな場所を撮影し、人体との比較で各部の大きさを把握し……といったことを、書きたいシーンを想像するより先にしてしまうのです。そうして、ある程度まとまった量の材料が手元にそろってから、話の筋を考え始めます。 この姿勢は、うまくいけばリアリティのある話が書けるのですが、材料が十分そろわなかったり、集めてる途中でモチベーションが途切れたりすると、取材の無駄撃ちってことにもなりかねません。 それに何よりフットワークが重くなる。二次創作でやるには、いささか効率の悪いやりかたなのかもしれません。 ……とまあ、もっともらしく3項目にわたって長々と書いてきましたが。 結局のところ、理由は1で挙げたこれにつきるでしょうね。 自分のやり方を変えられない頑なさ。 まぁ、一度でも書けそうなら、ものの試しで書いてみることかな。 そうしないことには、自分の殻は破れないのだと思っています。
by tenhosai-north
| 2010-05-28 14:09
| 創作メモ
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