by 渡辺天和斎 Information
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2012年 03月 05日
このブログの過去記事にしても、メールの文面にしても、読まれた方は感じられたことがあるかと思うんですが、私の文章には、感情とか体温とかがあんまり乗ってないっぽいです。
具体的な表現でいえば、ケータイメールでも絵文字・顔文字はほとんど使いませんし、それらが使えない環境でも叫びや笑いなど、感情が噴出するような表現をしていないことは、傾向として読みとれることでしょう。 一言でいえば、「淡々とした、テンションの低い文章」ということになりましょうか。 あの人が書く文章が、好きで好きでたまらない。涙が出るほど感動した、この思いがもうはちきれそう! という感情をたたきつけたはずの文章が、好き好き大好きnakamurabashiさん祭りで、何はなくともパトスをぶちまけるべき導入部がこの低体温。 これ、書く人が書けばルイズのコピペ並の熱量ある記事のはずだったのに。 なんでこんなことになったのか。自分なりの理由をいくつか考えてみました。 ・そもそもそれだけの感情熱量を表現できる文章力が私になかった ・それどころか、元となる感情そのものが薄かったかも ・公の場での発言では、感情を抑制すべきという意識 ・考えを正確に伝えることを優先するあまり、感情表現が疎かになった ……などなどいろんな可能性も考えられたんですが。 一番の理由はこれかな、と思いました。 ・リアルな感情表現をまっ正直に表現した結果、こうなった ・にもかかわらず、ネットの文章として読むとだいぶ冷たい感じになる さっき例に挙げたルイズのコピペ。 あれを読んで、元ネタを書いた人が本当にそこまで思ってあの通りの絶叫をしていた、とは思いませんよね? たぶん読んだ側としても、「えらい大げさな表現だけど、こいつがそれほどルイズが好きなのは分かった」って感じで、何割か割り引いてそれを受け止めたんじゃないですかね。 こういう、ポジティブな感情を大げさに表現することを、私は「ポジティブな感情を『盛る』表現」と名付けることにします。 「盛る」とは、ギャル業界発祥のあの概念。単純に拡大したり先鋭化したりするんじゃなくて、もっとデコラティブな要素を含んだ何か。見る人を楽しませるために、実体とはかけ離れた方向に強化するような、そのあり方。 ネットにおける文章表現にも、そういう「ポジティブな感情を『盛る』語り口」って確実にあるんですよ。でも、私はそれを採らなかった。意味が分からなかったから。 コミュニケーションにおいては、生の感情を偽る方向性が大きく二つあると思います。ネガティブを隠すか、ポジティブを大げさにするか。 前者の意義はすぐに理解できました。相手を不快にさせない気遣いですね。 対して後者の意義が、つい最近まで全っ然理解できなかったんですよ。一般常識?として儀礼化されたものを除いて。そこまでいったものには、従うことにさほど抵抗はありません。 しかるに。 これは社交辞令にも通じる話だと思うんですが。お互い嘘だと分かってて、なんで上辺だけの誉め言葉を交わし合うのか。さらに理解できないことには、受ける側がそれを一度は否定することまで、礼儀のうちに入っているじゃないか??? わけわからんわー!!!! みたいな。 なんなんだろうな、あの訳のわからんやりとりと、それに自分が感じる理不尽な不快感は。 ……などということをつい最近まで、意識しないまでも思っていたような気がします。 その疑問が氷解したのが、Twitterでのこの一言でした。 文章はとても冷たい。好意は伝わりにくいのに悪意はもっとも鋭い形で伝わってしまう。これは文章が好きな人とか意識したことがある人はわかるんだけど、そうじゃない人はつい会話みたいな感じで使ってしまって、ひどいことになったりする。松井ドンキーノ/Twitter うん、確かにポジティブな感情はなんでか文字では伝わりにくいし、ネガティブな感情は必要以上に伝わってしまうようだわ。断言できないのは、その感じにまだちょっと自信がもてないから。 そのことを経験で理解した人から、ポジティブ感情表現の「盛り」が始まり、分かる人たちはその流儀を積極的に取り入れて、完全に理解できないまでもそういう流れらしいから合わせよう、という人も巻き込んで広がっていったんでしょうね。 でも私は、理屈で納得できないことを受け入れられなかったから、その流儀に乗れなかった。 だって、それはあるものをないことにするより、ずっと難しい嘘のつき方だもの。ないものをあることにすることは。 ましてや、偽るものは自分の感情。いくら理屈で必要性を理解できても、0を10にするのも90を100にするのも、同じぐらい苦痛なんです。 要するに、素がガチガチの真面目キャラで演技ができないから、ネットですらテンション高く振る舞えなくて、それで周囲から浮いてる気がして悩んでますってことなんですが。 嘘をつくとか演技をするとかが根本的に苦痛である以上、頑なな心がもちっとほぐれて盛らなくても体温高い感情表現ができるようになるか、低体温なりに身の丈に合って伝わりやすい感情表現を磨くか、万人受けしないの承知で開き直るかの、どれかですよね。 う〜ん……ほかにこういう悩みを抱えた・乗り越えた人はいないのかしら。 ネット上のコミュニティで求められる(らしい)テンションと、素の自分のテンションとのギャップに苦しんだ人、どっかにいませんか〜?
by tenhosai-north
| 2012-03-05 07:01
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